道子物語第一話
70年間、この鹿島(かしま)で「モード」という婦人服の店をしてきましたが、取材なんて、これまで受けたことなかったんです。それが今年の年明け早々、佐賀新聞の記事に取り上げられました。
「おしゃれ発信70年/創業者東島さん、96歳現役「誠心誠意が何より大切」(2019年1月6日号)…続けて、繊研(せんけん)新聞というファッションと繊維関連の業界紙にも、記事を書いて頂きました。賢人との写真付きで、こちらは「佐賀の専門店サロンモード 地域に愛されて70年/創業者の東島会長、今も店頭に/おしゃれ、楽しさを伝え続ける」(2019年1月29日号)という見出しです。
長生きする時代になったとはいえ、96歳で毎日、お店に出て、お客様のお相手をしているのは珍しいと思われるんでしょうねえ。8月25日が誕生日ですので、今年の夏で97になります。
97歳の今も、毎日お店に出ております。
私は生まれたのも育ったのも、鹿島です。女学校(佐賀県立鹿島高等女学校)の頃は、学校の部活動で一生懸命、テニスの練習に励みました。当時は、テニス部のことを「庭球部(ていきゅうぶ)」と言っておりましたけれど、テニス、バスケットボール、バレーボールなどの球技は、戦前の、私が少女だった時分から、体育や部活動に取り入れられていました。
テニス部で汗を流した仲間とは、結婚してからもずっと一番仲のいい友達です。今から10年ほど前に、みんなで嬉野(うれしの)温泉に泊まりがけで遊びに行きました。温泉につかってお食事を頂いて……楽しかったですが、みな身体は元気でも、仕事はしていませんでしょう? もう80代半ばを過ぎていましたから(笑)。
そのとき働いていたのは私だけで、96歳になった今もこうして毎日休みなく、元日以外は鹿島の本店に出ております。
「三坪(みつぼ)の店」からモードは出発しました
今から70年前の昭和24年1月、私は主人(故東島四郎氏・モードグループ前会長)と2人で「モード洋品店」を始めました。私の実家にあたる鹿島の割烹(かっぽう)「清川」の隣と申しますか、続きにわずか3坪(10平方メートル弱)の小さな店舗と、お花見のときなどに旭ヶ岡公園に出す露店(屋外に出す店)からスタートしました。春になると、露店のことや2人の子供たちと桜のトンネルを歩いたことを思い出します。花はやっぱり桜が一番好きですね。
“モード(MODE)”という名前は、主人が付けました。フランス語で、ファッション、流行、スタイル、デザイン、型、様式という意味です。お店を始めた頃、「モード」と看板に書いてあるのを見たお客さんで、「ドーモって何のこと?」と聞かれる方が、結構いらっしゃいましたよ。いまは横に文字を書くとき、左から右に書きますが、戦前は、右から左に書いていたんです。その読み方にならって、モードを右から読むとドーモ。うちの店の名前を“ドーモ”だと思われてた方は多かったんです(笑)。
お客様の生活を豊かにすることを誇りとして。
(お客様を迎える喜びは、開店当時もいまも変わらない。)
毎朝、うちの店は朝礼をしております。鹿島にある本店の朝礼の様子を各店舗(現在、佐賀県内に18ある)で同時に見られるようにしています。みんなで声を揃えて言うのが、「モードの祈り」です。現社長の(山口健次郎・娘婿)前の職場であるニチイ(マイカル)創業者の西端行雄・春枝ご夫妻が作られた「誓いの詞(ことば)」を使っております。
私たち夫婦で始めたモードですが、いまでは70名ほどの社員が働いております。時代は移り変わっても、モードというお店の名前と、仕事に対する心掛けは、創業したときから変わっていないと思います。