編集長KENTOの対談コラム
次世代のリーダー


人懐っこい笑顔と温かい雰囲気、
そして心に響く歌声は
ファンを一気に魅了する。
 
タレント、パーソナリティー、ミュージシャン。
今回の次世代のリーダーは、
色んな形で自分を表現する
「池田隆臣」さんをクローズアップした。
 

池田隆臣さん
タレント、ラジオパーソナリティー、ミュージシャン


~プロフィール~
佐賀県鹿島市出身の31歳。2014年4月から2019年3月までFM佐賀・地域情報番組「Hello!多久」のパーソナリティーを担当。現在は元気に楽しくをモットーに活動中。


History of TAKAOMI IKEDA


野球部に所属し陽が暮れるまで白球を追っていた青春時代。彼がギターに出逢ったのはそんな青春時代の真っ只中、中学校1年生の頃だった。3つ上のお兄さんに隠れて聞いた、アコースティックデュオ「19」のCD。ラジカセから流れるそのメロディーと歌声に胸を打たれた池田少年は、それからすぐにお年玉でアコースティックギターの入門セットを購入。仲が良かった友達も同じものを買った。しかし、ギターを弾いたことがある人は分かると思うが、みんなが挫折する「F」のコード。彼もまた上手く弾くことができず断念した。持っていたギターをそっと置き、次第に白球を追う日々に戻っていった。

それから月日は経ち、高校2年。当時入門セットを一緒に買った友達の、「最近肥前鹿島駅前のバスセンターで路上(ライブ)やっとるけん今度一緒に行こうよ!」という誘いをきっかけに久しぶりにギターを手に取ったそうだ。バスセンターに行ってみると2つ上の先輩たちが路上ライブをやっていて、そこに混ざってギターを弾き始めた。「音楽が好きな人たちと一緒にギターを弾けることの楽しさを感じられる時間でしたね。」と懐かしそうに語ってくれた。


上手くいかない。くすぶった20代前半。


高校卒業間近となり、武雄市川登町にある通信建設会社に就職が決まった。何か興味があったわけでもなく、「とりあえず就職しなきゃな。」という想いだけ。卒業して就職し、ひたすら電柱を立て続ける日々。楽しさも面白さも感じることができず、研修期間が終わると同時に会社を辞めた。それからは、これまでと同じようにバスセンターで路上ライブをやったり、佐賀市内のアーティストと知り合ったことで佐賀市内でも路上ライブをするようになったという。

「その頃からですかね、〝音楽で飯食っていきたい〟っていう想いが芽生え始めたのは。」と池田さん。しかし、生きていくためにはお金は必要。工場勤務の派遣の仕事を経て、鹿島市の生涯学習センター・エイブルにあるホールで照明スタッフとして働いた。その傍らで他のミュージシャンたちと一緒に音楽イベントを開催したり、九州各県や関西を周って路上ライブを行った。しかし、〝音楽で飯を食う〟という夢の、きっかけもチャンスもなかなか掴めない日々が4年続いた。25歳で照明スタッフの仕事を辞め、農薬散布や玉ねぎ引きなど農業のアルバイトで食いつないだそうだ。


The turning point in his life.

そんな時、携帯電話に着信が入った。音楽をやっている先輩からだ。
「ねぇ、隆臣。ラジオに興味ある?FM佐賀の地域応援番組なんやけど、1人空きが出たけんもし興味あるなら履歴書持って面接来ん?」
「え!あ、じゃあ受けてみます。」

―――それがラジオとの出会い、彼のターニングポイントとなった。
 

そのターニングポイントをきっかけに〝音楽で飯を食うためにはどうしたらいいか〟だった考え方が〝音楽を一つの武器として色んな活動をしていきたい〟にガラリと変わったという。「佐賀を離れて福岡や東京で勝負しようかと思っていた時にメディアの話が来て、もう音楽辞めようかなと思っていた時にラジオの話が来て。全く経験のない世界に飛び込んで180度世界が変わりました。メディアやラジオに出るようになって自分の音楽を求められる機会も増えていきましたし。音楽を続けていて良かったなと感じています。」と池田さん。最初に舞い込んできたチャンスは音楽ではなかったが、そのチャンスを信じて行動したことが〝佐賀で音楽をやる〟という選択肢を残したのだった。


今後理想とする自分の在り方


FM佐賀で地域に密着した活動を行ってきたことで〝地元を盛り上げたい〟という想いが芽生えた池田さん。現在はイベントの企画や調整役として多久市の街づくりにも携わっているそうだ。「多久の色んな場所に取材に行く度に出会う熱い想いを持った人。鹿島で自分の店を出している友達。そうやって地元を盛り上げようとしている人たちの頑張りを、僕がスピーカーとなって発信してきました。今後は自分もその中に飛び込んで当事者としてもやっていけたらと思います。」と今後の展望を教えてくれた。

そしてこれまでと同じように面白いことを追求していきたいそうだ。面白いと思うモノ・コトは人それぞれ。池田さんが思うそれは、人と人を繋げたり巻き込むことで相乗効果が生まれることなのだという。「面白いというよりも嬉しいに近いかな。自分の存在価値が見いだせて、ワクワクに繋がっていくのが好きなんです。」一方KENTO編集長が思うそれは、今まで誰もやったことのないことをやること。ゼロから創り出すことにしかエネルギーが出ないのだという。そんな二人は同じ鹿島市出身。「鹿島ば盛り上げるためにKENTO君と一緒になんかやりたかですよ~!」と、終始大盛り上がりの楽しい対談となった。


大事にしたい、人との縁


「僕がここに存在しているのは、人が人と繋げてくれたからだと持っています。人とのつながり『ご縁』に感謝です。」と語る。しかし、人と人がただ出会ったからといって縁ができたことにはならない。縁が繋がるためには人に対して、優しさではなく思いやりを持っているかどうか。それを池田さんと接して感じた。彼は、目の前にいる人を笑顔にさせたいという想いを持ち、人を好きになることを大事にしている。好きだなと感じるのは「ユーモアがある人」だそうだ。不器用で真面目で熱い人、遊び心がある人、何でも楽しめるアンテナを持っている人、言葉のチョイスにフィーリングを感じる人。そうやって目の前にいる人を好きになって、その相手に思いやりが伝わった時に『ご縁』が生まれるのだと、私は思う。

僕が皆さんに伝えたいこと

僕はあまり先のこと考えないし、計画性もありません。人生ほぼ無計画。流れに身を任せてここまで来たようなもんです。でも流れに身を任せることも悪くないと思います。だって今胸を張って人生が楽しいと言えるから。ただ、日々生活していると小さな選択の連続が待ち受けている。僕はワクワクするかどうかを軸に判断してきたつもりです。そうやって、その時にやりたいことを追いかけ続けた先に未来がある。だから今隣にいる友達、1日1日の生活を大切にしてほしい、そう思います。

SAGARICHの読者へmessage

もっと影響力を持てるようなタレント活動もしていきたいと思っています。今後も面白いを追求して活動していくので、どこかで見かけた際はよろしくお願いします。気軽に声をかけてもらえたら嬉しいです。今回次世代のリーダーということで対談させてもらいましたが、〝本当の次世代のリーダー〟になれるように頑張ります。


KENTO編集長の所感


池田君とは地元が一緒ということもあり、名前は知っていたが、実際に交流を持つようになったのは、イオン佐賀大和美術館でのイベントがきっかけである。
そして実際に面と向かって、しっかりと話をしたのは今回が初めてだった。インタビューにもあるように、無計画で流れに身を任せるという池田君だが、今の時代はこういう人材が一番強い気がする。
先が読めない時代、悩んで悩んでも解決策がなかなか出ない時代。目の前のことを一生懸命頑張って、人の縁を頼りに、自分で道を切り開いていく、池田君の姿は佐賀の若い人達にエネルギーを与えてくれると思います。
私もエネルギーをもらった一人です。
頑張って佐賀を盛り上げましょう!