SAGARICHがお届けする
パーソナルストーリー

東島道子物語。

モードファッショングループ
創業者
「みなさんはじめまして。97歳の今も、毎日お店に出ております。」

Special Column

Michiko's story

 new  2020.10.20

聞き書きを終えて

 

樋渡 優子(『東島道子物語』ライター)
東島道子さんのお好きな青空が広がる秋の日、物語を書き終えられていま、ほっとしております。


2020.10.8

≪第34話≫ 最終話・いつも心に青空を

 

1985(昭和60)年に、佐賀県から県内の全世帯に配布される広報誌「さが」に、モードグループを取り上げていただいたことがありました。


2020.9.29

≪第33話≫お店に一番大事なのは人材です③時代の移り変わりに、よき巡り合いを重ねて

 

先日、昔のアルバムを探していると、こんな覚書が出てきました。


2020.8.10

≪第28話≫お店に一番大事なのは人材です②子供たちが成長し、一緒に働き始めた頃

 

私が洋裁を始めたのは、鹿島高等女学校を卒業し、博多の洋裁学校に入学した二十歳前のことです。
 


2020.7.30

≪第27話≫お店を長く続けていくのに一番大事なのは「人材」です①

 

先日、めずらしく夢を見ました。いつもは一度寝たら、そのまま朝までぐっすり眠って、夢もほとんど見ないんですけれど……。それは楽しい運動会の夢でした。


2020.7.20

≪第26話≫金ちゃんうどん開店!④ダニエルさんがやってきた(後編)

 

昭和44(1969)年夏、長男・秀行は1年を過ごしたパリから船、列車、バスなどを乗り継いで、日本を目指しました。


2020.7.10

≪第25話≫金ちゃんうどん開店!③ダニエルさんがやってきた(前編)

 

私の母、成松ツルは料亭「清川」の跡取り娘でした。「清川」はおかげさまで100年以上続いておりますが、銀行に勤めていた父を私の祖父が気に入って、母と結婚させたそうです。


2020.6.30

≪第24話≫金ちゃんうどん開店!②お正月には1日2000杯売れました

 

1964(昭和39)年10月10日、東京オリンピック開会式の日に佐賀市に開店した「金ちゃんうどん」のお話の続きです。
 


2020.6.20

≪第23話≫金ちゃんうどん開店!①

 

今年は東京オリンピックが延期になって残念でしたねえ。来年の開催を楽しみに待ちたいと思いますが、前回の東京オリンピック――いまから56年前の1964年10月10日の開会式の日は、私たちモードにとっても忘れられない一日です。


2020.6.10

≪第22話≫私の心を励ます御歌

 

私は若い頃から何か問題があっても、くよくよしたり、長く考え込んだりしない性格です。


2020.5.29

≪第21話≫私の失敗談②一度だけ、涙がこぼれた日

 

モード洋品店最初のヒット商品が、〝純綿製の最後まで火が消えない灯芯〟だったと前にお話ししました。あの純綿の灯芯では嬉しい思いもした反面、その後、苦い教訓も得ることになりました。


2020.5.20

≪第20話≫私の失敗談①ストローハットの苦い思い出

 

今回は〝失敗〟のお話をしましょうか。70年間、「モードファッショングループ」を続けるにあたっては失敗や、うまく行かなかったことが沢山ありました。


2020.5.8

≪第19話≫家族が語る東島道子①母は「もう97歳」というより「まだまだ97歳」という感じですね

 

山口麻貴<長女・㈱モードファッショングループ常務取締役>


2020.4.30

≪第18話≫ファッションも情熱、商いも情熱・その③モードの理念は「店がブランド、人がブランド」

 

モードファッショングループは、会社のモットーとして「店がブランド、人がブランド」「BIG(ビッグ)より、GOOD(グッド)」を掲げております。


2020.4.20

≪第17話≫ファッションも情熱、商いも情熱・その②道行く人のファッションをスケッチした日々

 

いろいろな洋服のデザインを画や写真で紹介するスタイルブックや、洋服を作るための型紙がありませんでした。


2020.4.10

≪第16話≫ファッションも情熱、商いも情熱・その①

 

おかげさまで、モードファッショングループは昨年、70周年を迎えました。
 


2020.3.30

≪第15話≫私と洋裁――芸は身をたすく・その③モードが3店舗に増えた頃

 

一生懸命、働いているうちに、3坪でスタートしたモード洋品店を17坪に拡張しました。


2020.3.23
 

≪第14話≫私と洋裁――芸は身をたすく・その②自分だけのささやかな楽しみの時間

 

博多の洋裁学校では2年間、縫製とデザインを勉強しました。


2020.3.10

≪第13話≫私と洋裁――芸は身をたすく・その①

 

今日は、姉と妹と私の3人で撮った、子どもの時の写真をお目にかけましょう。


2020.3.1

≪第12話≫奇想天外PR大作戦!その④アドバルーンはどこに?

 

前回は、夫の作った元祖ゆるキャラ・ミス鹿島の話をいたしましたが、そういう失敗はいくらもしています。あるときは、自家製のアドバルーンも作りました。
 


2020.2.20

≪第11話≫奇想天外PR大作戦!その③〝ミス鹿島人形〟で集客に挑戦

 

今回も、主人のPR作戦のお話のつづきです。


2020.2.10

≪第10話≫奇想天外PR大作戦!その②戦後、日本人の着るものが洋服に変わりました

 

鹿島でも戦争が終わると、みなさん一斉に、着物から洋服に着るものが変わりました。


2020.1.30

≪第9話≫奇想天外PR大作戦!その①

 

健啖家(けんたんか)というほどではないですが、ご飯は毎食、美味しくいただきます。


2020.1.20

≪第8話≫健康の秘訣③妹の勝代がテニスで全国優勝

 

1年、365日、晴れと曇りの日は暗くなって、ボールが見えなくなるまで外のコートで練習。 
 


2020.1.10

≪第7話≫健康の秘訣②イライラしない心の持ちようもテニスから学びました

 

今日は前回に引き続き、女学校時代のテニスのお話です。


2019.12.30

≪第6話≫健康の秘訣①私の身体は、女学校時代のテニスで鍛えられました

 

みなさんが私に興味を持っていただく際、頭に思い浮かぶのは「97歳になって、どうして毎日、元気で働いていられるのだろう」ということだろうと思います。 


2019.12.20

≪第5話≫国際都市・大連で過ごした日々

 

昭和18年の春、結婚した私は、夫と鹿島から山口県の門司から船で釜山(プサン)に渡りました。


 2019.12.10

≪第4話≫結婚、そして大連へ。(後編)

 

結婚したのは昭和18年の春、私が21歳になる年です。戦争に行っていた主人が外地から帰国している時期に合わせて、実家の清川で結婚式を挙げました。
 


 2019.12.1

≪第3話≫結婚、そして大連へ。(前編)

 

主人、東島四郎は私の遠縁にあたる人で、白石(しろいし)という鹿島から車で20分ほどの町の出身でした。


 2019.11.15

≪第2話≫モードグループの始まりはパンツのゴム紐でした。

 

今年の年明けに佐賀新聞に掲載された記事を見て、東京のラジオ局から取材のお申込みがきました。


2019.11.01

≪第1話≫初めまして。東島道子と申します。

 

今日は孫の賢人(けんと)に、「ばあちゃんは心配しなくていいよ。ただ、話をすればいいから。」と、ここに連れて来られましたが、うまくお話しできますでしょうか…。