山崎賢一さん


<PROFILE>
佐賀県唐津市生まれ唐津市育ちの26歳。佐賀・福岡のイベント・ライブを中心に地域に根付いたミュージシャン。現在はTV番組リポーターをはじめ、ラジオ番組の出演、Youtubeなど多方面で活躍中。唐津MUSIC FESTIVELの代表として唐津の音楽を盛り上げる役割も担っている。

PUFFY、ハジ→、HAN-KUN from湘南乃風、Ms.OOJA、吉田兄弟など名だたるアーティストが出演した「2019みやきMUSIC FESTIVAL(2019年5月26日)」でトップバッターを務めた山崎さん。順風満帆に見える彼が送ってきた人生にスポットを当てる。


音楽をはじめたきっかけ

夢はプロのサッカー選手になること。幼い頃から夢を追い続け、グラウンドを駆け回っていた。高校卒業後は警備会社に就職し、配属先は千葉だった。ここで彼に人生の岐路が訪れる。
働きながらサッカーをしようと思い就職した警備会社での仕事は多忙を極め、サッカーをする時間が全く取れない日々が続いたのだった。さらに職場での人間関係にも悩み、日を追うごとに身も心も削がれていくような感覚だったという。夢に向かって頑張りたいのにサッカーができないもどかしさ。手を伸ばせば届くはずだった希望の光が、みるみるうちに遠くに離れ、しまいには見えなくなってしまった。

「あの時の、あの感情は今でも鮮明に覚えています。心がポキっと折れるってこういうことなんだなって。」
ズタズタになった心を癒してくれ、ぽっかりと空いた穴を埋めてくれたのが音楽だった。音楽を聴いているときだけが何も考えなくていい時間だったという。そんな山崎さんに転機を与えたのは静岡県沼津市出身のシンガーソングライター「アンドレ」さん。彼は20歳までサッカー選手を目指していたが、21歳で某事務所のオーディションに合格し、音楽・芸能活動をスタートさせた方だ。そんな、山崎さんの先輩にあたるアンドレさんが載せた「僕、サッカーを辞めて音楽の道に進みます!」というFacebookの記事を目にした時、暗い部屋に微かな光が差し込んだ。


「高校時代までは毎日外でサッカーに明け暮れ、友達と暗くなるまで遊んでたのに、今の僕はまるで人が変わったみたいに、知り合いも友達もいないこの場所で部屋に閉じこもってる。社会の荒波に揉まれて、夢が音を立てて崩れ落ち、心がポキっと折れている…そんな人って、きっと僕だけじゃないはず。〝辛い、しんどい、悲しい〟そういう状況にいる人に歌を届けたい。そういう人たちの心の支えになれる歌を作りたい。」

新たな目標ができ、新たな一歩を踏み出した。警備会社を辞め横浜で転職し、ボイストレーニングに通うようになった。しかし、たまにイベントに呼んでもらってステージで歌わせてもらう機会はあったものの、具体的に何から手を付けていいのか漠然とした日々が約3年続いた。そんな時、山崎さんがシンガーとして活動していると知った高校時代の同級生から「俺と一緒に音楽やろうよ!」と連絡が。それを機に2016年4月、22歳で地元唐津に戻り、本格的に音楽活動をスタートした。


がむしゃらに、前だけ向いて


2016年、地元唐津でギターとボーカルのユニット「Leben Core(レーベンコア)」を始動した山崎さん。その後メンバーも増えてバンドとして活動していたが、メンバーの脱退もあり現在はシンガーソングライターとしてソロで活動している。「今一人で活動していますが、一緒に音楽やろうと声をかけてくれた友人には本当に感謝しています。あの時、あの一言がなかったら今自分のペースで思いっきり音楽に取り組めていたかどうか。

あのまま関東に居たら、何をすればいいのか分からないまま都会に飲み込まれてたんじゃないかな、と思います。〝地元の温かさ〟というものもヒシヒシと感じていますよ。音楽を始めた当時は本当にがむしゃらで、ガツガツしてたし尖ってたんですけど(笑)休むことなくひたすら動き回って、ライブハウスに『ここで歌わせてもらいませんか?』と飛び込み営業をかけていた時も、『そうかそうか、頑張ってるんやな。歌ってよかばい。』と言ってもらえたり、フリーステージで歌わせてもらえたり。そういう機会がちょっとずつ繋がって今があるんだなって切実に思いますね。多分、過去にタイムスリップしたとしても、きっと僕は今と同じこの場所に戻ってくると思います。やりたいこと、やらなきゃいけないことを全部やってきたという自負がありますし、1つも後悔していることはありません。」

それ以降、各種イベントやラジオパーソナリティー、テレビ番組のリポーターなどなど活躍の幅を広げている山崎さん。しかし、この未曽有の事態により全国各地で出演予定だったイベントやライブが中止・延期を余儀なくされ、現在はもっぱら作曲活動に精を出しているそう。「今年3月の唐津MUSIC FESTIVEL以降はステージに立てていません。もちろん皆さんに生歌を届けたいと気持ちは強いんですけど、何かあってからでは遅いので、今は我慢の時かなと思っています。」と山崎さん。コロナ禍でも挑戦の気持ちを忘れずに前を向いて、今できることと精一杯向き合っている。


最も記憶に残るステージ

山崎さんがこれまで出演してきた数々のステージの中で、最も印象に残っているステージは?と伺うと、どのイベントも素敵なステージだったと前置きした上で、きゃりーぱみゅぱみゅ、ゴールデンボンバー、ゴスペラーズなど錚々たるアーティストが名を連ねる「宗像フェス」に2019年出演した時だと答えてくれた。初めて宗像フェスを見に行った2017年。久保田利伸さんの圧巻のステージを目の当たりにし、感動と同時に〝悔し涙〟を流したという山崎さん。〝いつか絶対にこの場所で歌いたい。絶対にこの場所でいいパフォーマンスをしてやる。〟そんな強い想いを抱いたフェスだったからこそ、それから2年後の2019年に宗像フェスのステージに立った時のあの言葉にできない感覚は絶対に忘れられないという。


挑戦し続ける彼のこれから


「SNSでの発信、ライブイベントなどもこれまで通り継続してやっていくつもりですが、今一番やりたいことは海外に行くことです。今年、海外でのLIVEが決まっていたんですが、コロナの影響で延期になりました。今後どうなるのか先は見えませんが、日本の歌を知らない人に僕の歌がどう響くのか、どう評価されるのかを肌で感じたいんです。この目標はいつか必ず実現したいと思っています。」とのこと。

2018年に大阪で開催された関西ミュージックカンファレンスに出演した際、海外のアーティストの歌唱を聴いた山崎さんは、どこから声が出てるのかと思うくらいパワフルなのにハートフルで、心の底から湧き上がってくる感覚を味わったという。「海外の魅力は圧倒的な歌のレベルです。僕、スティービーワンダーとかブルーノマーズとかのグルーヴ感が好きなんですけど、あそこまでシンプルなメロディーラインで人を魅了できるって本当にすごいと思うんです。そこにボーカルの実力が乗っていく感じ。だって『Stand By Me(Ben E.King)』なんて使ってるコード4つだけでミリオンヒットですよ!ほんとすごいっす。」と、楽しそうに音楽を語る山崎さんの瞳はキラキラと輝いていた。


読者の皆さんへメッセージ

「今回、次世代のリーダーにインタビューという形でSAGARICHさんに声をかけていただいて、自分が発信しているSNSなどを〝どこかで誰かが見てくれているんだ〟と改めて感じましたし、やっててよかったなと思いました。まだまだ未熟ですし実力もないですが、読者の皆様にぜひ僕の歌を聴いてほしいです!」とメッセージをくれた。キツイ、苦しい、しんどい、辛い。そんな時にぜひ山崎さんの曲を聴いてほしい。きっと聞けば聞くほど、貴方の心に寄り添ってくれる大切な曲になっていくだろう。


KENTO編集長の所感


山崎賢一さんと会うのは今回のインタビューが初めて。会った瞬間の元気な挨拶と表情から、独特なオーラを感じた。
インタビュー記事にもあるように、今までの人生で挑戦しながら悩み、苦しみ、それを乗り越えて、さらに挑戦し続ける姿はSAGARICHの読者の皆様にも何か響くものがあるだろう。
ちょっと失敗したりするとSNSなどで叩かれる風潮の昨今、山崎さんみたいに真っ直ぐに挑戦し続けている姿は勇気を与えてくれる。
この佐賀、唐津の地から世界を夢見て、将来のビジョンを語る彼を心の底から応援したいなと思った。ぜひ彼のライブパフォーマンスにも足を運んでみましょう!