成瀬ブルックリンさん
ミュージシャン・クリエイター


今回のインタビューは、これまでで一番ギャップを感じた。ギャップとは、メディアを通じて感じた印象と実際のそれとが大きく違った、ということだ。

~第一印象~

少し控え目で消極的な雰囲気で話を切り出した彼は、非常に素直で穏やかで笑顔も愛嬌があった。またウィットな一面もありかなりユニークだ。ロッカーの持つ尖ったところなど微塵も感じさせなかった。かつ、クリエイティヴ。自らTシャツなどをデザインし作成している所なんてPOPそのものだ。だから、Youtubeなどで見た「成瀬ブルックリン」のイメージとはかけ離れていて、本当に当人なのか?と疑ってしまったほど。もちろん、見た目は本人だったのだが髪を肩くらいまでに切っていたのも手伝って、違う印象に見えていたのだろうか。
かつて、東京で暮らしていた編集長KENTOの“自称・食べログマニア”とのカミングアウトにも大ウケするブルックリンさんは、逆に佐賀から東京に活動拠点を移した。

かつて、東京で暮らしていた編集長KENTOの“自称・食べログマニア”とのカミングアウトにも大ウケするブルックリンさんは、逆に佐賀から東京に活動拠点を移した。

成瀬ブルックリン誕生秘話
~これまでの人生について~


大町町出身。1987年生まれの32歳。叔父さんのギターに憧れて弾き始めたのが中学校1年生の時。ミュージシャンになりたいとライヴ的な活動を開始した。高校時代も作詞作曲を続け、音楽を生活の軸にした。地元の高校を卒業した後、東京の音楽専門学校・ミューズ音楽院に入学。ここは、あの有名なB'zのギタリスト・松本さんも通った専門学校だ。

同じくブルックリンさんもギター課に入学した。負けず嫌いな性格が高じて、ギターを誰よりも上手くなりたいと思ったのが入学の動機で、学生時分は凄く練習もしたそうだ。しかし半年後、ボーカル課に転属した。理由は、自分で歌うことで自分で何かを表現したいと思い、ボーカルにはそれができると思ったからだそうだ。だが、ボーカル課では一日中、筋トレ、体幹トレーニングをやらされる毎日。将来性を見失ってしまった。結果、一年後には佐賀に帰郷した。

帰郷してからも、やはり仕事は音楽。コンポーザーとして様々なテーマソングを制作したり、アレンジャー、レコーディングエンジニアとして佐賀のミュージシャンの数々の音源制作に携わったりしたそうだ。そうこうしていると音楽仲間から誘われ、佐賀でも自身のパフォーマンスを開始することとなった。本人曰く、自己肯定感が強い性格。つまり、自分に強い自信を持っているということなのだろうか。だとすると、ブルックリンさんの様々な一連のパーフォマンスに納得がいくのだが…。さてここで、編集長KENTOが自分の子どもに関する悩みをブルックリンさんにぶつけてみた。

KENTO:「私の子どもをアーティスティックに育てたいが、どうすればそういう風に育つのだろうか? 私自身がアートな環境で育っていないから全く分からない。私の母親は、ピアノの先生をやっていた経験があり音楽の才能があるのに、私にはほぼないと思うんですよね~。特に、これからの時代に必要なのは、音楽や絵画などの才能ではないかと思うんですよ。ただ仕事だけができれば良いとは思えないんですよね。そんな時、飛び込んできて興味を持った人が、成瀬ブルックリンさんだったんです。」
ブルックリンさん:「おばあちゃんの家に行くと叔父さんがギターを弾いてて、かっこいいと思って自分も始めたから環境っていうのがあるのかな。。。でも、好きなことをやる、それを貫き通す気持ちが一番大事なんじゃないかな。。。」


東京、世田谷区在住
活動拠点は東京のブルジョワエリア


小綺麗にまとまった地区・世田谷に居を構えたブルックリンさん。べたべたにアングラカルチャーしていない所が、彼らしくて良いなと感じた。そう、いい意味で育ちの良いブルジョアなイメージが、彼への興味を湧かせるような気がした。

S.A.G.A.〜カモンベイビーさがんもん〜
《DA PUMP / U.S.A.佐賀vre.(替え歌)》

自分で生み出す楽しさを広げる
音楽を基盤に教育分野にも挑戦する未来

成瀬ブルックリンさんは、自分のことをあまりミュージシャンっぽくないと思っている。同時に、世の中のインディーズミュージシャンと同じことはしたくないとも常々感じている。ブルックリンさんは、通常ミュージシャンというものはライヴステージをこなして音楽活動して、自己満足しているような気がするけど、「そうじゃないだろ」という持論を有する。かつてはブルックリンさんも月に20ステージはライヴをやっていた。しかし、なんか違うなって思い始めてから、最近ではかなり減らしているという。
ある日のライヴで「S.A.G.A.〜カモンベイビーさがんもん〜」《DA PUMP / U.S.A.佐賀vre.(替え歌)》をやったら、すごく評判が良かったから動画を作ろうと考えた。そして、佐賀に帰郷したついで原付に乗り、ギターとカメラ、三脚を抱えて、県内各地での撮影を全て自ら行い、作り上げた。

白いスーツを着て各地で撮影をしたブルックリンさん。「あれはだいぶ目立った」と笑いながら語ってくれたが、その甲斐あって動画の視聴回数は40万回を超えるビッグヒットとなった。
今後は、一年前に出会った元SDN48の女の子とタッグを組み、某テレビ局の午前中の帯でやっているような教育系の動画を作っていこうと考えているそうだ。例えば、小さな子供向けの絵描き歌のような音楽に関係した番組など。やはり、普通のミュージシャンではしない発想だ。


二人に共通する「ファッション」に対する考え方で会話が弾んだ。

いたずらっ子のように楽しげに語るブルックリンさん。

この人のキャラクターに興味津々の編集長KENTO。

Tシャツデザインもクリエイト
この日着ていたものも含め、自らデザインしたTシャツは多数に及び、ファッション的な才能もキラリと光る。特大サイズのぬいぐるみを製作したこともあったそうだ。


 

 

 

KENTO編集長の所感


成瀬ブルックリン。
すごい名前だなあ!どんな人かな!と興味をもった。きっと面白い人だろう!という予想をはるかに上回り、めちゃくちゃ面白い対談となった。USAの替歌佐賀弁バージョンを見た時の印象とはまた違い、考え方、思考が深く、哲学的な話まで盛り込んで、興味深い話をしてくれた。
音楽やアートなどの作品には、作った人が感じたこと、歩んできた道から得られたことなどメッセージが込められている。
これからも成瀬さんの人生物語を詰め込んだ表現を楽しみにしています!