野副一喜さん
シンガーソングライター
人間力と経験値を高めたい。一流を目指して。
野副さんは、全国デビューも果たしている。佐賀でも根強い人気を博すシンガー。でも、その生き様は単純ではない。この人もまた、人生を彷徨う旅人だった。ただ、「歌う」ということにおいては、もはや迷いはない。今回は、その遍歴や人柄に迫ってみた。
History of KAZUKI NOZOE
音楽へのきっかけ~佐賀を離れて
三日月出身の33歳、B型の野副さんは、現在、佐賀を中心に音楽を活動中。甘いルックスと優しい眼差しで、特に女性ファンを多く持つ。 音楽活動は15歳から。文化祭で楽器演奏をやりたいという話から、仲間とギターの弾き語りの練習をした事から始まったそうだ。理由は、好きな女の子へのアピール。年頃の男の子らしくモテたいという手段だけだったけど、いざやってみると、それだけじゃない楽しさを感じた野副さん。
「ヤマハのオーディションがあってるって! 1,000円でエントリーできるからやってみようよ!」と仲間から誘われ応募した。当時、1曲だけ自分の楽曲も出来ていたし、張り切って受付窓口に行くと、なんとエントリー期間が終わっていた。しかし、ここで奇跡が起こった。スタッフさんが「よかよ」とエントリーさせてくれたのだ。持ってる男は、やっぱり持っているものだ。
そうして迎えた当日、エスプラホールには30人くらいの出場者がいた。「音楽仲間と仲良くなれればいいなー」と思って臨んだステージだったが、ナント! 佐賀グランプリを受賞した。学校の体育館でしか歌ったことのなかった野副さんが、ついに福岡で、ヤマハティーンズミュージックフェスティバル九州大会に出場することになったのだ。そしてナントナント! 九州の猛者たちが30人いる中で、九州グランプリをも受賞するに至ったのだ! 九州代表として出場した全国大会の会場は渋谷公会堂。そこでまたもや奇跡が起こった。審査委員として列席していたB'zのプロデューサーさんから「東京に出てきたらいいやん!」とお誘いの言葉が! でも、野副さん、ここで急に少し怖くなってしまったそうで、なんと、断ってしまったというのだ。今思えば、これがターニングポイントだったと野副さんは振り返った。だから、今、やれるところまでは自分でやってみたいなと本腰入れて音楽活動しているのだという。
高校卒業後、福岡で1年活動した。その当時のことを思い出すと、調子に乗って鼻の伸びた自分の姿を恥ずかしく感じるという。でも、だからこそ自分を腐らせないために沖縄移住を決意した。行ってきますという意味を込めてライブを行った。すると、およそ250人くらいのお客様でいっぱいになった。
満員のお客さんがいるライヴの光景を、フロアではなくステージの上から見ることで改めて、本当に色んな人に助けてもらってるんだなと実感したそうだ。しかし、この後、野副さんはさらに人生を彷徨うことになった。憧れの沖縄に行くと音楽活動から大きく遠ざかってしまった。もう生活するのがいっぱいいっぱいの毎日。ギターケース自体もクローゼットにしまったままでカビだらけになっていった。そしてついには、音楽に興味を持てなくなり、やめようとも思ったという。みんなに「いってらっしゃい」と送り出してもらったけど「このまま佐賀に帰らず沖縄でひっそりと暮らしていこう、隠れて生きて行こう」と思ったそうだ。
佐賀に戻ってから
元々、沖縄には沖縄音階に感銘し沖縄民謡や三線に加え、沖縄での戦争の歴史を勉強したくて移住した野副さんだった。しかし、音楽じゃ食えない現実と、好きだったアパレルの仕事が楽しくなりあっという間に2年半が過ぎた。そんな中、佐賀のイベント出演の依頼を貰い、久しぶりに地元に帰ることになった。その時、ファンのみなさんが変わらずに待っててくれて、優しく「お帰り」と迎えてくれた。野副さん、その一言にハッとした。「このまま逃げてていいのか、いやだめだ。よし、帰ろう。もう1回最初からやり直そう。」と佐賀への帰郷を決めた25歳であった。
かくして帰郷へのきっかけとなったライブイベントでは2年半のブランクを痛切に感じた。「しょうもないライブをしているな」と、やってる最中に思った。でも、本当にやりたいことは音楽だと気付かされた瞬間でもあった。 帰ってきて猛練習ののち、満を持して福岡のキャナルシティーで行われたオーディションを受けた。いきなりだけど、なんとそこでグランプリを獲った。
そして、某大手音楽レーベルが手掛けるプロジェクトの下、2012年に全国デビューを果たすこととなった。ここからリスタート。もう1回やり直すきっかけをもらい今に至る。現在、野副さんのオリジナル楽曲は優に100を超えるそうだ。ライブはソロとは別にロックバンドでも行っているとのこと。興味のある人には、ぜひ一度、野副さんの歌声を聞きに行って欲しいものだ。
音楽の魅力とは
「出会うはずのなかった人に出会うことができるのが音楽。もしもやっていなかったら、すれ違うだけで話すことのない人だらけであっただろう。だから、音楽とは人と人をつなぐものだと思っている。」と野副さんは語る。
KENTO編集長も「ファッションと音楽。カテゴリーは違うけど、僕と野副さんは〝人が好き〟という部分で共通してるな」と野副さんの話を聞いて共感した。
今後描く理想
かつてスガシカオさんのオープニングアクトを任されたことがあって、ライブ前、スガさんに挨拶に行った。スガさんはリハ中なのにわざわざギターを置いて、「高いところからすみません」と下に降りてきてくれた。その時、野副さんの中に衝撃が走った。「一流はこうなんだ。音楽が素晴らしいから一流なのではなく、人間の力が音楽に反映されて、色んな人に必要とされていくんだ」と感じたそうだ。だから僕も、音楽を通して人間力を高めていきたい。周りの人から東京行けって言われるけど、中身が伴ってタイミングが来れば行きたいとも思っている。生き方は自由奔放すぎて結婚とは程遠いけど、好きな女性は包容力があって柔らかく見守ってくれる人だそうだ。
KENTO編集長の所感
野副さんと会うのはこのインタビューが初めて! 会った瞬間に〝お洒落〟やなと心の底から思いました。後ほど話を聞いていくとやはりアパレルのお仕事をされていたとのこと。ファッションもアーティストのイメージを決める大きなポイントなので、野副さんらしさを感じることができてとても良かったです。そして音楽活動に関して、話を聞けば聞くほど、実力派のシンガーであることを確信しました。数多くあるオーディションで賞を取り、いろんな挫折を経て、先日行なわれたソロライブでは500人以上のお客さんを動員するなど、ファンの心を鷲掴みにしてます。話を聞く中でも感じましたが、野副さんの人間性に惹かれている人も多いと思います。長くなりそうなので、まずは野副さんの音楽聴いてみてください! 素晴らしいです! そんなアーティストが佐賀にいる。ますます佐賀は楽しみですね!