手洗いの儀礼

三社参りの由来については諸説あり、はっきりしていないが以下のように諸説あるそうだ。

  • 元々朝廷が伊勢神宮、石清水八幡宮、賀茂神社の三社に奉幣し、これが庶民にも三社詣でる風習として広まった、という説。
  • もともとは先祖代々の守護神である氏神様、出生地の守護神でありその人の一生の守り神である産土神様、現在住んでいる地域の守護神である鎮守神様の三つの神様に挨拶をする意味で三社詣でていた、という説。

西日本の各地の風習としての三社参りは、正月の初詣として、三つの神社を詣でることを指す。この風習が根付いた地域の人々は、「初詣=三社参り」であり、特別な信仰心とは無関係に、当然のこととして三社参りを行う。特に福岡県を中心として九州地方・中国地方の一部で根付いた風習であるらしい。

成田山龍王院/みやき町


宗派は真言宗智山派で、御本尊は不動明王座像です。また、こちらは九州八十八ヶ所霊場会第六十番札所。初詣時期は、近隣より約3万人の参拝客で賑わいます。

佐賀成田山のご本尊《不動明王》は、嵯峨天皇の勅命により弘法大師が、みずから敬刻して開眼し護摩法を修せられました尊像のご分霊です。

天慶(てんきょう)二年(939)関東の地に「平将門(たいらのまさかど)の乱」が起り人心は退廃し、世相は混沌として、そのよりどころを失なう時、朱雀(すざく)天皇の密勅を受けた寛朝(かんちょう)大僧正は、ご本尊不動明王とともに東国に下り、下総国(しもおさのくに)公津ヶ原(現 千葉県成田市 )に尊像を安置し「国家安穏将門降伏(あんのんまさかどこうふく)」の護摩秘法を修めました。その満願の日、天慶3年2月14日叛乱は平定され、以来現成田市に鎮座して一千五十有余年、本尊不動明王の霊徳は十方に光被(こうひ)し現在に至っております。当佐賀成田山は、昭和40年に熱誠信徒の懇請(こんせい)によりご本尊ご分霊を佐賀県上峰の地に奉安、寺号 龍王院を賜って以来、現在に至り本尊不動明王の霊徳は、いよいよ高くその偉容を誇って、佐賀県の成田山霊場としている次第であります。
(以上、公式ホームページより)


是非とも境内へは「開運坂」を上っていただきたい。

不動明王が守り本尊の由緒正しきお寺である。

その名の通り龍がモチーフの蛇口が印象的。
お宮もあるのでこちらにもお参りをどうぞ!
名称

成田山龍王院

住所

三養基郡上峰町大字堤1903−128

TEL

0952-52-2083

駐車場

50台以上

HP

https://saga-naritasan.com/

アクセス

JR鹿児島本線鳥栖駅から西鉄バス東目達原行、佐賀成田山前下車。

4番不動院からは、国道34号線を佐賀方面へ。

長崎自動車道東脊振ICからは南下し、三田川町田手交差点を左折。

唐津神社/唐津


唐津のまちの中心部にある唐津神社は、入口にそびえ立つ白い鳥居が印象的。建てられたのが奈良時代といわれる古い社で、住吉三神と神田宗次とを祀っています。

社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田広(実は源久の5男)が社殿を造立して神田を寄進し、神田宗次の霊を合祀したそうです。慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年)に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けました。
明治6年(1873年)に郷社に列し、これを機に現在の「唐津神社」に改称。唐津の最大のお祭り「唐津くんち」は、唐津神社の秋季例大祭で、11/2~4に14台の曳山が唐津のまちを練り歩きます。
(以上、Wikipediaなどから引用)


大きな白い鳥居をくぐって境内へ。

歴史を感じる荘厳な本殿。

大きな絵馬が特徴的。

ご利益がありそうなお守り類も各種。
名称

唐津神社

住所

唐津市南城内3-13

TEL

0955-72-2264

駐車場

10台以上

HP

http://www.karatsu-kankou.jp/spots/detail/189

アクセス

JR筑肥線・唐津駅徒歩13分

唐津市民会館となり

陶山神社/有田


有田ならではの風情があり、陶磁器製の奉納物がたくさんある大変ユニークな神社といえます。陶祖・李参平碑や鳥居、狛犬を始めとした名工たちの技が光る陶芸品の数々が鎮座し、有田焼の窯元・商人および有田住民をあまねく守護する神として祀られているのです。

江戸時代に当時有田の統治と有田焼及び陶工に関する管理を行っていた鍋島藩の皿山代官の指示により造営されたと伝わり、「有田焼陶祖の神」として陶工たちの崇敬を集めた。万治元年(1658年)8月に、有田皿山代官の命により、現伊万里市二里町鎮座の神之原八幡宮から分霊を勧請して創祀され、皿山代官管轄下の全神社の筆頭の意で「有田皿山宗廟八幡宮」と称された。明治初年に現社名に改め、明治5年(1872年)に村社に列した。
大正6年(1917年)10月に有田焼創成300年を記念して有田焼の祖とされる李参平公を顕彰する記念碑が神社後方の山頂に建てられた。神社の境内へと入る石段を上り切ると、目の前に九州旅客鉄道(JR九州)佐世保線の線路があり踏切が設置されている。踏切警報機は備えられているが遮断機がないため、通行には注意が必要である。2008年5月14日に放送された『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日系)の中で「スリル満点の神社」として珍百景に認定された。(以上、Wikipediaなどより)


少し急な長い階段を上る。

狛犬も陶器づくりだ。

ココならではの焼物のお守り、珍しいね。

寛永通宝を模したおみくじは目を楽しませてくれる。
名称

陶山神社

住所

西松浦郡有田町大樽2-5-1

TEL

0955-42-3310

駐車場

10台以上

HP

http://arita-toso.net/

アクセス

JR上有田駅から徒歩で15分

JR有田駅から車で7分

波佐見有田ICより車で10分