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MICHIKO’S BLOG

2020年4月20日

≪第17話≫  ファッションも情熱、商いも情熱・その②
道行く人のファッションをスケッチした日々


私が婦人服のお仕立てをしていた頃は、いろいろな洋服のデザインを画や写真で紹介するスタイルブックや、洋服を作るための型紙がありませんでした。自分で流行のスタイルを勉強しなければ、お客様にお作りできませんね。それで、博多に仕入れに行ったときには、帰りに博多の繁華街・天神の交差点付近に立ったりしたんですよ。道行く人を観察しながら、「あっ、おしゃれだな」と思うと、その方の着ているものを急いでスケッチしたものです。
九州では昔もいまも博多がおしゃれの中心地ですから、天神を歩いている人たちの装いからは参考になる点が多々ありました。まだ小学校にあがる前の息子や娘を連れているときは、スケッチする間は、ちょっと脇で遊ばせておきました(笑)。

博多の街で流行の装いをスケッチ


博多にはデパート(その頃は百貨店と呼んでいました)がいくつもありましたが、岩田屋が一番の老舗(しにせ)でした。昭和30年ごろ、まだ周りに高い建物がない時代から、天神の交差点にそびえ立つ立派な石造りのデパートです。あの頃のデパートには必ず、洋食をはじめ、いろんなメニューが楽しめる大食堂がありました。
私は博多に仕事で行くたび、岩田屋の大食堂に寄りました。まず、ぐるりと食堂内を見渡してから、その中で、一番おしゃれな一団が座っているテーブルの後ろや横の席に座るんです。そして、注文したものを待ちながら、おしゃれさんグループが着ているものを急いでスケッチしました。

店内ディスプレイも腕の見せどころ。

あの頃はウィングカラーといって、襟の先が小さく折れ曲がって、鳥の羽のように見える襟の形が女性にも流行っていました。男性用には、花婿さんが結婚式で着る白いシャツの襟に、ウィングカラーが使ってあります。
時間勝負で、おしゃれさんグループの洋服、帽子、バッグを私がスケッチしていると、息子の秀行が大興奮。この子はふだんから元気いっぱいな子どもでしたが、「ちょっと座ってなさい」と言っても、広い食堂の中を走り回ります。追いかけてると、スケッチが終わらないうちにおしゃれさんたちが席を立って行ってしまいますから、見ないふりして必死にスケッチを続けていると、こんどは、「お母ちゃーん! おいも、こいば食べたかぁーっ」と大声で、鹿島弁で私を呼びます。
当時はチキンライスのことを〝あかめし〟と呼んでいました。ケチャップやトマトソースで赤く色がついているから、赤いご飯=あかめしと呼んでいたんです。同じ九州のことばでも、博多と佐賀、長崎に近い鹿島、長崎、それぞれ少しずつ違います。地元の人が聞けば、「よそから来た人たち」とすぐにわかりますから、秀行が大食堂で大声を上げると、ちょっと気恥ずかしくもありました(笑)。

家族仲良く、家業に取り組む


子どもたちにしてみれば、デパートの屋上には移動動物園やいろいろな子供向けの遊び道具や施設がありますし、おもちゃ売り場にも行きたいですよね。子どもたちが喜ぶデパートに来ているんですが、私の目的は毎回、大食堂にいるおしゃれさんたちの洋服や帽子を写し取ることです。
一心にスケッチしているんですから、おかしなお母さんでしたねえ(笑)。秀行も麻貴も文句も言わずに、3人でご飯を食べた後は、また博多から長崎本線の汽車に乗って、鹿島に帰りました。

娘・麻貴と。

うちはお店をしていますので、両親とも一日中、働いている家庭です。秀行は麻貴より4つ歳が上ですが、いつも麻貴をおんぶして店の前あたりにいました。友達と遊びに行くときも、「おい、まっこ、行くぞ〜」と一緒に連れていくので、娘はお兄ちゃんたちの後ろを短い歩幅で一所懸命、付いて行って……もっぱら男の子たちと遊んでいたようです。妹の面倒をよく見てくれて、こちらは大助かりでした。
主人は子どもたちに、「たった2人しかいない兄妹だから、絶対に仲良くしないといけない」と言い聞かせていたようです。おかげさまでいまでも仲のいい兄妹です。

孫の賢人は小学生のときから〝福袋部長〟でした


私は母が料亭「清川」の女将(おかみ)でしたので、子どもの頃から母が朝から晩まで立ち働く姿を見て育ちました。母は割烹着(かっぽうぎ)が制服で、「おかみさんが割烹着を脱いだところを見たことがない」と人が言うほど、寝るとき以外は働いていました。私が忙しくして手が回らないときは秀行と麻貴、孫の世話もしてくれて、一家総出でモードを続けてきたわけです。

金婚式のお祝いの席で、孫の賢人と。

家族で同じ仕事をしていますと、家にいても、話題はお店のことに自然となります。孫の賢人も生まれたときから、そういう環境に育っていますので、小さい頃からお店に来ていろいろ見ていました。賢人は新年の福袋を売るのが得意で、小学5年生のときには〝福袋部長〟と社員が呼ぶぐらい熱心でしたよ(笑)。ワゴンに福袋をいっぱいのせて、立て札の位置や、お店に入って来られるお客様から、どう見えるかと角度まで工夫していました。こういうことは習うより、自然と身に付いたものかもしれませんね。

賢人の息子のレオも、「今日はお仕事に行く」と朝からモード本店に賢人とやってきまして、朝9時半からの朝礼に出てから、幼稚園に行きました。幼稚園はモードからすぐ近くです。お店が好きな孫やひ孫がいることは、まことに心強いことです。   

インタビュー・文 樋渡優子
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