≪第34話≫ 最終話
いつも心に青空を
1985(昭和60)年に、佐賀県から県内の全世帯に配布される広報誌「さが」に、モードグループを取り上げていただいたことがありました。その記事にはこんなふうに書いてもらったんですよ。
店舗集中化で購買層開拓
ユニークな店舗展開と、「原宿と鹿島を直結」したと言われるほどの優れた商品構成によって、県西部の女性の間で高い人気を集めているのが、鹿島市にある婦人服飾専門店の「㈱サロンモード」。人口約3万5千人、周辺部を合わせた商圏人口が8万人程度と言われる小都市鹿島で、同社は本店のほか4つの支店網を展開、武雄市の支店と合わせて年商は5億に迫らんとしている。
狭い商圏にこれだけの店舗を集中し、しかも高い集客力を誇っている背景には、市場開拓に関する同社の独特な戦略がある。鹿島市にある4つの支店と武雄市の支店は、対象とする購買層のターゲットを絞り、ヤングからカジュアル、OL、キャリア、ミセスなどに専門化された商品構成によって、各店の狙いを明確にしている。
こうして各店舗を個性化、専門店化することで、地域の婦人服飾のレベルアップを図ると同時に、同一エリア内でさまざまな購買層を開拓し、顧客の市外流出を防いでいるのだ。仕入れは東京、神戸が中心で、先進性と質の高さでは定評がある。昭和58年に地元商店街が結束して設立した「鹿島ショッピングセンター」には、2支店を入れるなど積極的に参加している。
社長の東島四郎さん(65歳)は、もともと旧満鉄の農事試験場出身。復員後に小間物屋を始め、奥さんが服飾関係の学校を出ていることもあって、昭和24年から婦人服販売を手がけ始める。商品変化の激しい婦人服飾の分野で、過去36年間着実に売り上げを伸ばし続けてきた。
東島社長は、「サロンモード」の経営について次のように語っている。
「ファッション業界は商品の移り変わりが早いので、計画的な経営を行うのが難しいのです。今あるような店舗展開にしても、背伸びをせずに地道にやってきた結果です。私は常々<経営はマラソンである>と考えています。一気にゴールをめざそうとせず、他から学ぶべき所は学んで、少しずつ己れの糧にすることが大切だと思いますね」
家族の力に支えられて
「原宿と鹿島を直結した」とは、嬉しいお褒めの言葉ですねえ。店舗はおかげさまで令和2(2020)年現在、モードファッショングループは鹿島市、武雄市、佐賀市に18店舗と、インターネットショップ2つの20店舗で営業しております。
主人は記事の中で「経営はマラソン」だと話していましたが、モード洋品店を開店してからの70年、服飾に限らず、いろんなことをしてきました。振り返れば、その時、その時、ただもう、がむしゃらにやってきたように思います。
最初は子供2人と私たち夫婦が生活していくために、主人と私で始めたモードも、やがて娘の麻貴夫婦が一緒に働いてくれるようになり、言葉では表せないほど助けられてきました。孫の賢人夫婦は次の時代のモードの道を探しながら、インターネットマガジンをはじめ、新しい技術を使ったファッションビジネスに挑戦しています。
賢人が企画した70周年記念のイベントには、昔、モードで勤務していた人たちや、懐かしいお知り合いの方たちに再会できて、嬉しかったですねえ。また、賢人が連れてくる若い世代の人たちとも、お話しすることが出来ました。
賢人夫婦には息子2人がいますが、もうすぐ3人目が生まれます。幼稚園生のひ孫もモードのお店が好きな様子で、まことに心強いことです。主人が亡くなってから早いもので25年が経ちましたが、家族は私に優しくしてくれます。
主人は軍隊調で厳しかったですが、おかげで鍛えられました。主人のお葬式には本当に沢山の皆さんに来て頂きましたが、あるスーパーマーケットの店員さんたちが、「社長がうちに来られるときは、私たちにまで声を掛けてもらいました」と御礼を言われまして……麻貴も「お父さんは私たちの知らないところで、こんなに広いお付き合いがあったとねえ」と驚いたほどです。
うちの社員やスタッフにも、仕事の上では厳しい面がありましたが、空き時間になるとコーヒーを飲みに喫茶店に連れて行ったり、国内外への社員旅行を一緒に楽しんだり、日ごろからとても可愛がっていました。主人はそういう形で、私たち家族とお店を守ってくれていたのだと思います。
お客様と長いお付き合いが出来たことに感謝
私も4年前に大腿骨を骨折してからは、午前中はリハビリに通っておりますので、以前のように一日中、売り場にいるわけではございませんが、サロンモードの〝いつもの場所〟にいるときが、どこにいる時よりも一番心が落ち着きますね。ここが私の場所なんですね(笑)。
商売に関しては、うちは元手がなかったので、大きく打って出ることは出来ませんでした。バブルのときも、いい思いをしたということも特になく、いつも淡々と商いを続けてきたと思います。主人も言うように、背伸びをせずに、鹿島にいたからこその70年、もし、モードの本拠地が鹿島でなかったら、変化し続ける時代の波にもまれて70年も続かなかったでしょう。
そして、長く続けるには、つねに正直な商いをすること、これが必要だと思います。
前に、私の特技は、控えを見なくても、在庫が頭に入っているカンピューターだったとお話ししましたね? もう一つ、お客様がお持ちのお洋服やアクセサリーも、おひとりおひとり、私の頭の中に入っているんですよ。こちらがお売りしたから、という理由もありますが、そうでなくても、「ああいうお洋服をお持ちだったなあ」とお客様のワードローブが頭に入っているので、次にお勧めすべきものがわかります。
その方のワードローブが頭に入るほど、長年にわたって、お付き合いして頂けるお客様とこんなに沢山巡り合うことができました。私も一生懸命仕事を続けてこられて、本当に幸せだと思います。心から感謝申し上げます。
私は昔のことをいろいろ思い出すほうではないんです。日々のリハビリのこと、お店のこと、目の前にすることが何かあるせいでしょうか? これからは健康維持に努めながら、お客様のお相手を一日も長くできればと願います。
気掛かりがあっても、寝る前にちょっと考えて、「いま考えてもしかたがない。なんとかなるさ!」と寝てしまう、そういう毎日が続いていくのでしょう。
世の中にはいろいろな色がありますけれど、私が一番好きな色は、ブルーです。紺色でも水色でもない、澄み渡った空の青い色。どうかみなさま、いつまでもお元気で。明日も心に青空が広がっていますように。