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MICHIKO’S BLOG

2020年6月20日

≪第23話≫
金ちゃんうどん開店!①


今年は東京オリンピックが延期になって残念でしたねえ。来年の開催を楽しみに待ちたいと思いますが、前回の東京オリンピック――いまから56年前の1964年10月10日の開会式の日は、私たちモードにとっても忘れられない一日です。この日、主人の東島四郎は佐賀市内に「金ちゃん」というおうどん屋さんを開店しました。

東京オリンピック開会式の体育の日にオープンした
「金ちゃんうどん」の外観(1964年10月10日・佐賀市にて)。

開店挨拶のはがきはこちらです。
「開店の御披露(ごひろう)申し上げます。この度佐賀市新天地(元大間洋品店跡)に名物うどん「金ちゃん」を開店しました。
ここに開店の運びに至るまでには佐賀市及び鹿島市の皆様方の格別の温かい御支援をいただきました事を篤(あつ)く御礼申上げます。
日頃より佐賀にも何か特徴のある名物を作りたいと願っておりましたところ、幸い麺においては一流の同友を得ましてここに民芸調豊かな味の店をと舟出(ふなで)致しました。
今後共憩(いこ)いの一時(ひととき)に是非御気軽にお立寄り下さいまして幾久(いくひさ)しく御指導御愛顧(あいこ)賜りますよう伏してお願い申上げます。

佐賀市新天地   
名物うどん   
金ちゃん   
東島四郎   
電話③三七五二」  
店内風景。働く店員さんたちも笑顔。

何にでも興味を持ったら熱心に打ち込む主人のこと、はがきの文面にも触れているように、麺はもちろん、おうどんの味については研究に研究を重ねました。板前さん方、プロのアドバイスなども得て、他店にはない独自の味を生み出して「金ちゃん」うどんは船出したと思います。

人通りの多い繁華街の一角に


佐賀市の新天地は当時、市内一の繁華街で飲食店の多い界隈でした。はがきの文面にも出てきますが、昔からご商売をされていた大間洋品店さんがお店を閉めるので、この場所を使わないか、という話が入ってきたのです。
そこは佐賀藩の藩祖(初代藩主のこと)・鍋島直茂公をお祀(まつ)りする松原神社の並びの角地、松原神社は〝日峯(にっぽう)さん〟と呼ばれて親しまれる佐賀市の主要な場所で、人通りも多い一角でしたから、「あそこで店をするなら、洋服を扱う店より飲食店のほうが場所にふさわしいし、お客さんも入るだろう」と考えて、うどん屋さんをすることになったのです。

民芸調の造りで親しみやすく、誰でも入りやすいお店の構え。小道をはさんでお隣は楽器屋さん。

私の実家は清川という料亭ですが、それで飲食店をしようと考えたのではなく、場所を生かそうと考えた末の「金ちゃんうどん」の誕生でした。「金ちゃん」という店名の由来は、長男・秀行によれば、「僕が高校生の頃、店名に〇〇ん、とか〝ん〟が付く店が繁盛してた。それで何かするなら〝ん〟の入った店がよかよ、とお父さんと話したことがあって金ちゃんに決めた」とのこと。
最初のモード洋品店を始めてから、15年が経っていました。鹿島にはモード洋品店がNO1からNO3までの3店舗と、その次がこの金ちゃんうどんです。佐賀市は県庁所在地で、鹿島よりもずっと街ですから、新しい土地でお店を開くのはうまく行くかどうか心配でしたが、おかげさまで沢山の方たちのお力とご親切を賜りました。

当時目新しいオープンカウンターのお店


10月10日体育の日、東京オリンピックの開会式と同じ日に、お店を開けました。開店祝いに、佐賀市の中心的な方たちからも立派な花輪を頂戴しました。これはありがたかったですねえ。そういう土地の信頼厚い方々の後ろ盾を得ますと、お客様も沢山来ていただきます。これからお店をする者にとっては一番の後押しです。

店内はいまでいうオープンカウンター形式。
新しいものが好きで、お客さんのためになることに重きを置いた四郎の考案だった。

主人が新しい物が好きなことは、前にもお話ししましたね。金ちゃんうどんの店内にも主人の新しい発想が用いられていました。いまでいうオープンカウンター形式というのか、ぐるりと客席で囲むように形作られたカウンターの中に店員が入って、調理場から出てくるうどんの丼や注文の品を受け取っては、さっとお客様にお出しできるような配置になっていました。
お客様をお待たせするのが一番嫌いな主人でしたから、なるだけお客様をお待たせしないようにするために、この配置を考え付いたのだと思いますが、当時としては初めての試みで珍しがられました。
改めて、主人のごあいさつの文面を見ますと、「名物うどん 金ちゃん」と書いてあります。いまからお店を始めるというのに、〝名物うどん〟とは、気が早いですねえ(笑)。でも、敗戦後の物の不足した時代から、オリンピックを開いて、世界中のアスリートや観客の方たちを日本に呼べるまでになった喜び、経済も上向きで、みんなの心もが明るい時代でした。
 

インタビュー・文 樋渡優子
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