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MICHIKO’S BLOG

2020年9月9日

≪第31話≫家族が語る東島道子②(後編)
義母には、ゆったりした気持ちで
毎日を過ごしてもらいたいと思っています


山口健次郎<㈱モードファッショングループ代表取締役社長>

日本も本格的な少子高齢化に突入し、ビジネスの在り方も非常に変化しています。人口が減って、生産力と購買力、両方が減少傾向にある中では、地域全体が協力し、活性化を進めることが以前より重要になってきます。
モード洋品店が開店してから70年、その間に鹿島の街も時代ごとに変わってきました。義父や私が関わったことでお話ししますと、昭和58(1983)年、旧鹿島市役所の跡地に、ショッピングセンターPIO(ピオ)がオープンしました。

ショッピングセンターPIO地鎮祭の準備風景(写真中央が健次郎氏)。
鹿島に新しい息吹を吹き込むために尽力した(1983年)。

これは鹿島の商店主たちが協同組合を作って建設したものですが、協同組合の主導で大手スーパーのジャスコ(現在のイオン)をテナントとして入れました。普通は逆で、ジャスコのような大型店の主導で、ショッピングセンターにテナントとして入りますが、新しいビジネスの形でした。

「鹿島スカイロード計画」で新しい街づくり


平成8(1996)年にジャスコが撤退してからは、経営的に大変な時期が続きましたが、その後、空きフロアに鹿島市の市民交流プラザ「かたらい」(各種講座用の部屋や運動施設などを備える)や、高齢者の学びと交流の場「ゆめさが大学」、さらに「子育て支援センター 子育てひろば」などが出来ました。
地方はどこでもそうだと思いますが、車で行くのが便利なバイパス沿いや郊外型の大型ショッピングセンターが集中する一角が、人を集めています。反面、従来の街の中心地が淋しくなる傾向にあります。PIOにそうした施設を呼び込むことで、高齢者や、子育て中の親御さんたちが気軽に立ち寄れる場所を、街中に創出しすることに取り組んでいます。

道子さん、長男秀行さんご家族、長女麻貴さんご家族が集まって(中央が健次郎氏)。

平成10(1998)年には県道が道路を拡張する計画に合わせて、鹿島駅前からの道沿いにある商店街を、次世代に向けて、一斉に整備しました。モード本店ともう一店舗もこの通りにあります。道に面した店ごとの凹凸をなくし、電線類は全部地中に埋めて、レンガ敷きの歩道と街路灯を整備した通りは、新たに「鹿島スカイロード商店街」と名付けました。〝空のように明るい21世紀に向かって豊かな街づくりを目指そう〟というコンセプトを掲げ、自然に歩きたくなる街を目指したわけですが、電線を地中化する試みは、当時は全国的に見ても早かったと思います。 
そこからさらに22年経ったいま、世界全体が大きく変化していくのを感じていますが、今後は海外から日本に働きに来る人たちが増えてくるでしょう。就業する前に日本語や日本の習慣を学ぶセンターを鹿島に作れないものだろうか、そういうことを考えたりもしています。

家族は一人がみんなのために、つねにお互い気遣いをする


私と妻の麻貴は義母ほど「ファッションが大好き」というわけではなかったと思いますが、両親が続けてきたモードを軌道に乗せるため、独自の顧客管理システムを早い時期から導入したり、現在社員・スタッフが70名ほどいますが、お客様にとってよりよいサービスができるよう社員教育を重視するなど、会社としてのモードを確立することに尽力してきました。
私もモード以外の外部の仕事、役職が増え続けていて、九州の婦人服専門店:A・L・CグループとF・F・Cグループの会長を務め、また、ショッピングセンターPIOの理事長、会長を歴任し、全国組織の商業界のチューター、並びに商業界佐賀同友会会長、そしてキワニスクラブの会長、その他にもいくつかのショッピングセンターのテナント会の会長を務めるなど、大忙しの毎日でした。現在、モードファッショングループは鹿島市、武雄市、佐賀市に全18店舗、オンラインショップは2店舗を展開しています。

新年のお祝いのテーブルを囲む。義父・東島四郎氏のわが子への教えは「兄弟仲良く」。
健次郎氏も家族がいつも仲良く、助け合うことを大事にしている。

会社を続けるとは厳しいものです。義母は若い時に本当に大変な苦労をしてきていますので、老後は健康で楽しい生活をさせ、何の心配もしないで、毎日、ゆったりとした気持ちで生活をしてほしいと思っています。モードにとって絶対的な存在であると同時に、家族としてのそういう気持ちもあって、私も麻貴も「お義母さんファースト」なんです。
家の中はいつも平和で、家族は仲良くいなければならない、と私は思うんです。一人がみんなのために、つねにお互いに気遣いをする。みんながみんなを守る。自分たちしか家族を守る者はいないのだから……そういう気持ちがないと、商売も長くはやっていけません。

息子の子育ても義母と一緒に


息子の賢人が生まれて、大きくなるまでの間は、〝すべては賢人のために〟と思って家族が過ごした時期もありました。店舗が増えてくると、どうしても都合がつかないときが出てきます。幸い、お世話していただけるとてもよい方に恵まれ、おかげで、私も麻貴も思い切り仕事ができました。
幼稚園や小学校の父兄参観や運動会、おゆうぎ会に、私たち夫婦両方が手が離せない場合は、義母が行ってくれました。また、義母と義父が幼稚園の送り迎えはほとんどやってくれました。

何をするときも義母・道子さんと一緒に、〝お義母さんファースト〟を心がけて(1998年)。

いまやその賢人も家庭をもって独立しましたし、これからは賢人のキャラクターを生かして、次の時代に何をやっていくか、いろいろやってみています。6年前に東京を離れ鹿島に帰ってきてから、賢人は佐賀の魅力を発信するウェブマガジン「SAGARICH(サガリッチ)」を始めました。最近はオンラインを使った洋服の販売とコーディネートのほか、アートとファッションのコラボレーションにとても興味をもっていて、国内外の取引先と様々なイベントを企画しています。

日々、努力を積み重ねながら、新しい挑戦を


私がサラリーマンを辞めて、モードに入るきっかけになった義父の「玄関のある家で死にたい」という願いは、賢人誕生の年に新築の家を建てることが出来ました。義父は賢人が7歳の年に他界しましたが、モードファッショングループ70周年のタイミングで、もう一度、家を建てる機会を得て、いまは義母と私たち夫婦、賢人夫婦と孫たちの4世代が、同じ家で暮らしています。

「モードに入って仕事が面白かったし、大変忙しかった。仕事以外のことをしたいとも思いませんでした」と語る。
写真は、アパレルの会合でヨーロッパを訪れたときのもの(2000年、イギリスにて)

モードの経営理念は、
一、 企業の使命感に徹し、生活と文化の調和をはかり、笑顔で明るい楽しい売場、憩(いこい)の場を創造する
一、 常に新しい一流のファッションを提案し、販売を通じて服飾文化の向上に寄与する
一、 創意と機動性と人間味のある経営を通じ、効率経営に徹し、地域社会に貢献する
の3つです。これは創業者である義母・東島道子が70年、日々実践し、小さなことを積み重ねて継続してきたことです。これからも義母をモードの絶対的な存在として守りながら、新しい時代に向けて、果敢に挑戦していく。そういうモードファッショングループであり続けたいと思います。

インタビュー・文 樋渡優子
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