≪第33話≫お店に一番大事なのは人材です③
時代の移り変わりに、よき巡り合いを重ねて
先日、昔のアルバムを探していると、こんな覚書が出てきました。平成29年に私が1週間ほど、近所の病院に入院したときに、紙に書いたものです。
〇入院1日目 日本晴れ
朝食、レントゲン検査のため流動食のみ。今日もひもじい思いで過ごさねばならない。相変わらず良く寝る。
〇入院2日目 晴れ
朝食、おも湯に味噌汁(流動食)。朝食後はねむるばかり。なんて寝た坊(ねたぼう)に出来ているのだろうか?
〇入院3日目 晴れ
相変わらず眠ることの連続である。病院にいると安心感があるからか落ち着いて寝ることが出来る。夕方、お風呂も入ったし、すっきりして気持ちがいい。今夜もよくやすむ事ができるであろう。
〇入院4日目 晴れ
朝から良いお天気。病院での1日は長い。相変わらず眠る事に専念している。有難いことである。何の心配もなくこうして病院で過ごせるということは子供達のおかげである。みな健康で元気であってもらいたい。健康に勝るものはない。
〇入院5日目
月日のたつのは早いもので、はや入院5日目。身体はどうもなく、ただ眠るのみ。
〇入院6日目 朝からくもり模様
病院での1日は長い。今日も長い1日が始まる。今日1日良い日でありますようにと祈る。お店のほうは大丈夫であるか気になる。あと2、3日で退院できるのが楽しみである。
〇入院7日目 朝から気持ちのいい晴天
早くお店に帰らないと人手不足と思う。毎日寝るばかりで何の役にも立たない。いくらねむっても、またねむたくなる。よほどお寝坊さんに出来ているのだろうか? 寝だめが出来たらよいが、困ったものである。
〇入院8日目
午前中退院。
毎日よく寝ていますねえ(笑)。高齢になると、夜眠れなかったり、寝付いても少ししたら目が覚めてその後寝られないという話を聞きますが、私はふだんから眠れないということは全然なくて、一度、眠ったら、次の朝までぐっすり。時々、寝坊しそうになって、娘に起こされることもあります。このときも、病院でよく眠れたようですけれど、やっぱり4、5日経つと、お店の様子が気になります。
うちのお客様は洋服を買いに来るというよりも、「今日はちょっと時間ができたから、モードに行こう」と、遊びにいらっしゃる感じでおみえになるんですね。長いお付き合いのお客様がたが多いです。いらしたときにご挨拶もできませんと、せっかく来ていただいたのに申し訳ないと思います。
モード本店はいまの場所に50年
モード洋品店を開店してから70年経ちますが、その間に、鹿島の街の様子もだいぶ変わりました。大きな道が出来たり、アーケードが出来たり、なくなったり……その時々で、街の様子に合わせて人の流れも変わります。モードの店舗も何度か、引越しをいたしまして、本店のサロンモードがいまの場所に建ったのは昭和43(1968)年のこと。オープンの日には、本当に沢山のお客様にお越しいただきました。
あのときはお店の内装工事が長引きましてねえ。店内のディスプレイに取り掛かれたのが、前日の夜。お店を開けるまでに間がありませんので、それこそ突貫工事で夜通し作業して、商品を並べて、慌ただしくお客様をお迎えしたのを覚えています。
寝ていないので、私は疲れた顔で目の下にくまを作っていたらしく、麻貴は「お母さん、大丈夫?」と心配したそうです(笑)。日々、万全の準備でお客様をお迎えする努力はしていますが、なかなか完璧とは参りません。
「金ちゃんグループ」とファッションの2本立て
昭和58(1983)年春には、鹿島で初めてのショッピングセンターPIOがオープン、モードファッショングループからは「ビバモード」「ラモード」を出店しました。昭和34(1959)年、東京オリンピック開会式の日に、佐賀市松原にオープンした「名物うどん 金ちゃん」はその頃には、金ちゃんグループとして成長を遂げ、、お寿司、中華、和食の飲食店を、諫早市(いさはやし・長崎県)、佐賀市、博多(福岡県)に出しておりました。
PIOが出来たのと同じ年には、博多の大丸百貨店に京風寿司処「花むすび」をオープンしましたが、そのご案内の新聞広告には、名物うどん 金ちゃん(佐賀市松原)、家族亭(佐賀市白山)、麺処 竹とん房(西友佐賀店)、長崎中華 麺皇(めんふぁん・西友諫早店)、京寿し 花むすび(博多大丸店・西友佐賀店・佐賀白山店・西友諫早店)の8店舗の飲食店と、サロンモード(鹿島商店街)、ベルモード(鹿島商店街)、プチモード(武雄店)と、近日オープン予定のビバモードとラモード(鹿島PIO店)のファッション関連5店舗が紹介されております。
その後、金ちゃんグループはさらに増え、金ちゃん(佐賀市水ケ江)、金ちゃん(佐賀市・総合グラウンド横)、葉隠茶屋(佐賀駅前)、花むすび(福岡市西新)を出店しました。
世の中がバブルと呼ばれる時代で、ものが満ち溢れ、社会全体が華やかというか、戦後とはまた違った活気がありましたね。鹿島の商店街で催し物を企画して、あるとき、主人も加わって武者行列をしました。みんなが着るよろい甲冑もどこからか借りてきたのだと思いますけれど、本格的でした。あれこれアイディアを考えて、人を驚かすのが好きな性格はずっと変わらないようでした(笑)。
サロンモードで華やかなファッションショーを
社会全体の景気がいいときには、いろいろな試みが出来ます。娘の麻貴は、ファッションの中ではドレスが好きで、ウェディングドレスで有名なデザイナーの桂由美先生ともご縁がありました。
そこでサロンモード本店で、お客様をお招きしてファッションショーを開催して、みなさんに華やかなお洋服や雰囲気を楽しんでいただきました。
戦後、実家の料亭「清川」の大広間で、ファッションショーをしたときと同じように、専属のモデルさんに最先端のドレスやワンピースを着てもらいました。自分がそういうお洋服を着なくても、「こういうスタイルがいま流行ってるんだなあ」とか、「ああいう色使いはすてきだな」と感じたり、流行を知っていただくことは、私たちお洋服を売るほうにとっても本当に大事です。
よい品質のものや、考え抜かれた魅力的なデザインに価値を認めていただくことで、ファッションに関する職業全体が成り立っていきます。
お洋服のほかにもアクセサリーやバッグ、スカーフなどの小物、ランジェリー、毛皮、ウィッグ、フレグランスと……時代に合わせて、いろんなものをモードで扱ってきました。
お客様は〝人〟から買うことを忘れずに
モードでは朝礼のとき、「モードの祈り」の他にも、すばらしいと思う言葉をみんなで唱和したり、社内の目の付く場所に貼って、各自が忘れないように努めます。
たとえば「正範語録」は武田信玄が残した言葉です。
実力の差は 努力の差
実績の差は 責任感の差
人格の差は 苦労の差
判断の差は 情報の差
「モード 五か条実行項目」もありますよ。
一、 ハイと返事をする事
一、 挨拶は人より先にする事
一、 接客は笑顔でする事
一、 掃除はすみずみまでする事
一、 連絡報告の徹底と責任を明確にする事
うちに勤めているのは、長い人が多いんですよ。私や麻貴や社長と長い期間、働いてきていますから、何も言わなくても、モードのやり方が身体に入っているんですね。オープン予定の店舗で働くことになっている新しいスタッフには、半年ぐらい前からモードに入ってもらって、仕事のしかたを学んでもらいました。
ファッションや商品についての知識を持つことはもちろんですが、お客様は「人」からものを買い求められます。挨拶ひとつもおろそかにはできません。近頃、入ったスタッフは「毎朝の朝礼が結構長いので驚きました」と話しているようですが、1日の始まりにみんなが顔を見て挨拶したり、必要事項を伝えることは大切だと思いますね。
「お店を長く続けるのに大事なことは何ですか」と聞かれることがありますが、一番大事なのは、人材だと私は思います。得意なことはひとりひとり違いますけれども、お店にとって必要な〝できる人〟にめぐり合い、働いてもらうこと。人に恵まれなければ、モードも70年は続けて来れませんでした。これまでモードで私たちと共に働いてくれた一人一人に、感謝したいですね。