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MICHIKO’S BLOG

2020年5月10日

≪第19話≫ 家族が語る東島道子①
母は「もう97歳」というより「まだまだ97歳」という感じですね


山口麻貴(まき)<長女・㈱モードファッショングループ常務取締役>

リハビリが生活のリズムに


私は仕事と家庭の両方で、ずっと母と一緒にいます。人生で母と離れて暮らしたのは大学時代の4年間と、結婚して主人(現社長の山口健次郎)と関西に住んだ間などの計6年ぐらい、それ以外は母と生活をしてきました。
昨年の8月で97歳を迎えた母ですが、5年前に左足の大腿骨を骨折して手術してから、リハビリに通っています。リハビリしないと、足の筋肉が硬くなるそうです。筋肉が硬くなると、骨折した左足を動かせる可動範囲が狭(せば)まり、こんどは右足のほうにも負担がかかる。そうならないようマッサージを受けたり、足を上げ下げしたり、適度に負荷をかけるといった運動を5つか6つ、その時々の母の状態に応じてメニューを組んで頂いています。
母の1日は、朝8時半にリハビリステーションからお迎えの車が来ます。それに乗ってすぐ近くの施設で午前中はリハビリをして、ステーションでお昼を食べた後、お店(モード鹿島本店)まで車で帰ってきて、午後7時ごろまでお店にいます。
お店のイベントがあるときや、年に数回、「今日はなんだか体調が悪くて、気が進まない」と本人が言うときはお休みしますが、そうでない限りは、月火水木金土、日曜以外は午前中はリハビリに行っています。「身体はどこも何ともない。まだ死なないよ」と口にする母ですが、お店もリハビリも皆勤賞に近いですね。

つまずいてもすぐ自分で立ち上がる


骨折する以前も、母は時々、つまずいたりはしてたんです。お店の出入り口や、外出先の駐車場の暗がりで、車止めのブロックに足を取られて転んだこともありました。毎回、バターン!とわりと派手に転ぶので、「あっ、絶対にいまのでケガした!」とこちらはびっくりして肝を冷やすんですけれど、本人はけろっとして立ち上がって、服の汚れを払っていたりします。転び方からして、「ひょっとしたら、ひびでも入ってるんじゃないかしら」と思うときもそうなんですが、不思議ですねえ(笑)。

子供の頃の麻貴さんと道子さん。

大腿骨を骨折したときは、夜9時近く、自宅で私たち夫婦と母と3人でテレビを見ていました。体力を維持するために効果的な運動をテレビで紹介していて、母はそれを一生懸命見ていたんです。そのうち椅子から降りて、床に膝と両手をついて、テレビの運動を真似し出しました。よつんばいの姿勢から、右手を前に伸ばし左足を上げて、身体全体を使いながらバランスをとる。その姿勢をとった瞬間、ころっと反転して、腰から向こう側に落ちました。それだけで骨が折れてたんです。でも、そのときはわかりませんでした。
その夜、痛みがあって、翌朝まで痛みが強かったので、救急車で嬉野医療センターに行きました。日曜でしたが、整形外科担当の先生がちょうどいらっしゃって、「これはすぐにでも処置したほうがいいですね」と即手術になりました。
すぐに手術できましたので結果的に良かったんですが、本当にびっくりしました。バランスを崩したとき、骨が折れるほど強い衝撃を受けたとは、私も主人も思わなかったんです。おそらく母本人もそうでしょう。でも、高齢になると、骨そのものがとても脆(もろ)くなっているんですね。

漢字と算数をリハビリにプラスして


あれから丸4年経ちました。現在は、リハビリのメニューがいろいろある中から、ケアマネージャーの方と相談して、柔軟や歩行訓練を意識して入れてもらっています。母は働いていますので、足腰が弱ると、お店に出られませんので。

おめかしした麻貴さん。白い襟が素敵なワンピースはもちろん、お母さんの道子さんの手作り。

リハビリに通い始めて1年ぐらいした頃、「運動をしてから、帰るまでに空き時間が結構ある」と母が言うので、待ち時間に漢字や算数のプリントを1枚か2枚、渡してもらうようお願いしました。漢字のプリントは、最初は問題を解きながら、小学生用の漢字辞書を見たりしてわからない漢字を調べていたようですが、それでは私が母の本当の実力や状態がわかりません。それではいけないので、国語辞典は見ずに母が答えを記入したプリントを、私が家で採点しています。
算数、漢字……これが私たちでも結構、難しいんですよ(笑)。ずっと数字を足していく足し算や、足し算、引き算、掛け算が混じっている数式とか。「えーと、ここまでは3だから……」とプリントの余白に採点する私も途中の数字を書き入れながら、計算してみます。
漢字問題は文章があって、読み方だけを頼りに空欄に答えを書きます。母は完璧にはわからない設問でも、空欄にかならず何か答えを書いてきます。大体、いつも85点から90点くらいでしょうか。ひとつかふたつは間違えていますので、「お母さん、これはこういう漢字だったよ」と言うと、時々、納得しない顔をすることがあります。母が「うーん」と首を傾(かし)げたときは、手元のスマートフォンで検索して、「ほら、この字よ」と見せたりするのが生活のひとこまになっています。

リハビリで着る服にも変化が


昨年、ケアマネージャーの方と交わした連絡メモには、「近頃は漢字のほか、脳トレもさかんにやっておられます。体調は息切れもなく、無事に過ごされています」とありました。一安心ですが、母は生来、真面目な性格で、いくつになっても「自分がしっかりしなければ」という気持ちは強く感じますね。

「女学校の修学旅行以来、京都に行ってない」という道子さんと一緒に桜の季節の京都へ。
この後、紅葉の頃の京都も訪れた。

リハビリを始めて変わったことの一つは、母がズボンを履くようになったことです。母は、じつはパンツスタイルが似合わないんです。うちのスタッフたちも、「会長はズボンが一番似合いません」とはっきり言うぐらいで、骨を折る前は、お店にズボン姿でいたことはありませんでした。せいぜい旅行に行ったときぐらいです。世代的にも母にとっては、女性が人前に出るときのちゃんとした格好といえば、ワンピースか、ブラウスに膝丈のタイトスカートというイメージなのだろうと思います。
でも、リハビリに行って軽く身体を動かしたり、足を上げ下げする運動をするからには、スカートでは都合が悪いとズボンを履き始めて……いまではパンツスタイルが母の着る物のレパートリーに加わりました。

高齢者が元気に生きられる町・鹿島をPR


モードグループ70周年にあたる昨年の初めから、新聞記事に出たり、東京のラジオ局の中継車が店まで収録に来たりと、これまでにない形で母がみなさんの前に出る機会が出て来ました。これは思いもよらないことでしたが、自分が注目を浴びて、人から見られている、そういう環境になってきたんだ、ということは母なりに、自覚があるようです。

「北海道へは行ったことがない」という道子さんを連れて、北海道旅行に行ったときのもの。
小樽の石原裕次郎記念館で。

先日もある方から、「お母さんは最近、きれいにおなりですねえ」と言われました。突然、母に会いに来られる方もいらっしゃいますので、「いつ、どなたが来られてもいいように、会長はきちんとしていないといけないねえ」と、店のスタッフも近頃は申しています。
自分でも「身体はどこも悪いところない」というぐらい、97歳まで元気にこれましたので、この調子で100歳、105歳……といけたらいいなと思います。
モードは鹿島で生まれて、鹿島で今日までお店を続けてきました。これから鹿島を元気にするには、「3万人しか人口がいない」とか、「こんなに高齢者が多い」と数や人口比を見るより、「100歳以上の人たちが元気に生きているよ」とか、「鹿島は高齢者がいきいき生きられる町」という生き方の中身に目を留めたらどうだろうかと思います。
「食が豊かで空気もいい、自然環境にも恵まれている。だから、鹿島に観光だけでなく、移住してこられてはいかがですか?」とそういうPRの仕方もあるなあと……。
10年くらい前からは、「お母さん、元気で長生きして、鹿島を有名にしないといけないよ」と話してるんです(笑)。年を重ねても元気に働いている母の存在が、地域社会に貢献してほしいと願うところもあります。その意味では、母も「もう97歳」というより、今日も前向きに生きる「まだまだ97歳」かもしれないと思いながら、毎日一緒におります。   

インタビュー・文 樋渡優子
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