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MICHIKO’S BLOG

2020年8月19日

≪第29話≫家族が語る東島道子②
モードにとって、東島道子は絶対的な存在。
だからいつも「お義母さんファースト」なんです(前編)


山口健次郎<㈱モードファッショングループ代表取締役社長>

私と麻貴がモードグループに加わったのは、昭和54(1979)年のことです。それまで私は、日本初の大型ショッピングセンターを造った株式会社マイカルに勤務しており、結婚後は夫婦で大阪の堺市に住んでいました。
鹿島の義母(はは・東島道子)が腎臓結石で、手術と長期休養したのをきっかけに、「僕らが鹿島に帰って、両親を支えなければ」と考えるようになったのですが、あの頃の両親の生活は、端(はた)から見ても大変そうでした。
店舗の奧の倉庫のような家に、両親と義兄夫婦が住んでいまして、義母がお昼ごはんを食べに、家のほうに来ているわずかな間も、「お客様がいらっしゃいました」と呼ばれると、ご飯もそこそこに立ち上がってお店に戻る、という具合で、一息つく暇もない。体調を崩したのも、そういう生活を30年近くしてきた蓄積疲労が重なったのでしょう、無理もなかったと思います。

山口健次郎・麻貴夫妻。大阪から鹿島に戻ってくる前に、パリを旅行して(1974年1月)。

義父(東島四郎)が私と話している時、こう言ったんですよ、「亡くなるときは玄関のある家で死にたい」と。それを聞いて、「ここで死なせるわけにはいかない」と強く思いました。もっとちゃんとした家を建ててやらねばと。親の願いですからね。
それでマイカルに10年勤めたところで退社して、夫婦で鹿島に戻りました。私が31歳、麻貴が30歳でした。

最初の3年間は給料はとれませんでした


経営に携わるのはもちろん初めてでしたが、私の心の中では、「店の経営を何とかしなければならない」という決意がありました。私は小学6年までは鹿島で育ったんです。その後、佐賀市に引っ越しまして中学、高校まで過ごしましたが、親は銀行員、祖父は村長と佐賀県の県会議員を務めました。そういう意味では、〝鹿島の出〟なんですが、自分が商売の家で育っていないので、最初は戸惑うこともありました。
サラリーマン家庭では毎月決まった額の給料が入りますが、商売の家では、何かを売らなければお金は入ってきません。「ビクター毛糸がよく売れたから、ピアノが買えた」という妻の少女時代の話を聞いて、「ああ、違うもんだなあ」と感じたのを覚えています。

賢人さんが生まれて、鹿島の桜の名所・旭ケ丘公園で家族写真(1989年4月)。

面白いのは、商売をしている家では、家庭の話題もビジネスのことになるんですね。いまでも98歳になる義母と私たち夫婦と息子夫婦が、家でも同じことを話しています。私と麻貴がモードに入った頃は経営的にも厳しい時期でしたから、3年間は給料は取れませんでしたが、仕事は休みなくしていましたので、「負けないぞ」という気持ちで励んでいました。

自分も大事にされたから、自然と大事にできる


どうして会社員を辞めて、両親を手伝おうと決意したのか? あらためて振り返ってみると、義母は私が麻貴と結婚してから、いつも私を大事にしてくれたんですね。夏休みや正月休みに夫婦で帰省すると、義母は店と家とを忙しく行ったり来たりしながらも、歓待してくれているのがものすごく感じられました。
みなさんもご承知のとおり、モードにとって東島道子という存在は絶対です。私も麻貴もそれを支えて今日まで来ましたし、義母のことは大切にしています。いま風に言えば、〝お義母さんファースト〟(笑)。どこへ行くときも、私たち夫婦と義母と3人で行きますし、夜、食事に出るような時でも必ず義母を連れて行きます。「高齢になったから、お義母さんはちょっと家で待っといて」じゃないんです。家族になった時、自分も義母に大事にしてもらった。だから義母を大事にできる、そう思います。

「家族仲良く、お互いに守り合って」というのが社長のポリシー。少年時代の賢人さんと(1995年2月)。

「モードの祈り」を実践してきた義母


40年、一緒にいて思うのは、義母の度量の大きさ、です。私たちは足元にも及びません。精神の強さが半端じゃない。98歳になったいまも日経新聞も読みますし、本を読む、絵を描く、書を書く――そういう文化的なこともみんな好きで、また、できる人なんです。商売においては、「お客様に喜んでもらいたい、だからその機会をできるだけ増やす」という姿勢は一貫しています。
毎朝、18のモード全店舗をオンラインでつないで行われる朝礼では、「モードの祈り」を唱和します。
 

「人の心の美しさを
商(あきな)いの道にいかして
只(ただ)一筋にお客様の生活を守り
お客様の生活を豊かにすることを
モードの誇りと喜びとして
日々の生活に精進(しょうじん)
いたします。」

 
これは私の前職である、株式会社マイカルを創業した西端行雄(株式会社ニチイ社長)・春枝夫妻が使われていたメッセージ「誓いの詞(ことば)」をお借りしたものですが、言葉がきれいでしょう? モードの経営理念ともちょうど重なる言葉ですが、これを具現化して、実践してきたのが、東島道子なんです。

 
社員旅行でハワイへ(1996年8月)。

当たり前のことを当たり前に毎日続ける、小さな努力の積み重ね、継続は力なり、です。義母の仕事の仕方を見ていると、お客様に対して馬鹿正直というぐらい、まっすぐに尽くしますので、「ここまでするのか」と驚くこともよくありました。
お客様を大切にするのが大事、と言われますが、これを本当にやり通すのは難しいことです。お客様を毎日大切にして、積み重ねた信用の上に、ビジネスとしての肉付けをする……このような私たちモードグループの会社の経営方針は、会長である義母の姿勢から生み出されたものなのです。
たとえば、うちの会社に入って、すぐには理解できなくても、「モードの祈り」や他の目標とする言葉を口に出して唱えていれば、身体が覚えているというか、いつか頭と身体がつながる日が来ると思います。

次の時代を見据えて、オンラインショップを展開


サラリーマンを辞めて、モードの経営に30代で飛び込んでみて、毎月の支払いは大変でしたし、あの車が欲しいなあと思うこともありましたが、とにかく仕事が楽しかった(笑)。人生いい時も悪い時も巡ってくるけれど、「頑張れば結果が出る」と信じられた時代だったと思います。

イギリスを代表する紳士服テイラー、クチュールブランド「ハーディエイミス(HARDY AMIES)」の招待を受けて、イギリスを訪問。同ブランドのデザイナーたちと(2000年10月)。

これからは私たちが歩いた道とは違ってくるでしょうねえ。アパレル業界も形を変えていきます。うちも佐賀県内の18店舗に加えて、70周年を迎えた2019年、初のネットショップ「Zooit」をオープンして、世界のトップブランドをセレクトしてオンライン販売を始めました。今年4月からは通販サイトで、全店舗で扱う商品をネット販売するほか、LINEなどのSNSを使って、お客様ひとりひとりとファッションコーディネートなどのご相談もできるサービスも取り入れています。
時代に合ったビジネスに挑戦しながら、モードというベースをどう生かしきるかが、息子の賢人の代の課題になると思いますが、次回は、私たちが実践してきたモードの歩みについてもお話ししたいと思います。

インタビュー・文 樋渡優子
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