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MICHIKO’S BLOG

2020年6月10日

≪第22話≫
私の心を励ます御歌


私は若い頃から何か問題があっても、くよくよしたり、長く考え込んだりしない性格です。たいがい「考えたってしかたがない、なんとかなるさ!」で寝てしまって、その時々の人生の荒波を乗り切ってきましたけれど、辛いなあ…苦しいなあと思うことはもちろんありました。
そんなとき、私が決まって口ずさむのは、女学校時代に国語の時間に教わった明治天皇の御製です。御製とは、天皇陛下の詠まれた歌をいいます。
 
一、 大空にそびえて
    見える高峰にも
     登れば登る道は有りけり
一、 さし昇る朝日の如く
    さわやかに
     もたまほしきは心なりけり
一、 朝みどり
    澄み渡りたる大空の
     広さを己(おの)が心ともがな
一、 踏まれても
    根強くしのべ道草の
  やがて花咲く
    春ぞ來るらん

意味をご説明しましょうね。
最初のお歌は、大空にそびえ立つように見える高い山の峰(みね)にも、登ろうと思えば登る道はきっと見つかるものだ。
二つ目のお歌は、どんなことがあろうと翌朝になれば、またのぼってくる朝日のように、さわやかな心をこそ、持ちたいものだなあ。
三つ目のお歌は、朝の晴れ晴れと青く澄み渡る大空の広さを、自分の心にも持っていたいことよ。
四つ目のお歌は、踏まれても踏まれても、根本を強くしながら耐え忍べ、道端の草にも花の咲く春がかならず巡ってくるのだから。

鹿島高等女学校時代の道子。毎日テニスの部活に励んでいたが、油絵や書道も好きだった。

こういう意味だろうと思いますが、立派ですねえ。私は16、7歳の頃に習った時から、この御製が大好きで、今日までいつも口ずさんでまいりました。「座右の銘は何ですか」と聞かれて真っ先に浮かぶのは、この4つの御歌です。自分で筆で書いて、会社の壁にも貼ってあります。

道子の手になる明治天皇の御歌4首。辛い時にいつもこの御歌を口ずさんで励まされてきた。

口ずさむと心が落ち着いて


モードを70年続けてくるにあたって、一番苦労したのは資金繰りでした。戦後まもなくの時期にお店を始めた人はみなさん大変だったと思いますが、うちは元手がなかったので、いつもキュウキュウしておりました。しかも、お金をやりくりするのは私の担当で、昭和20年、30年代は物入りのお盆とお正月前の年2回、銀行が短期で貸付てくれるお金を借りたりもしましたねえ。
お金を他人様に借りに行くのは、相手が銀行でも気の滅入ることです。ただ、私が思うに、お金を借りに行くのは主人より私が行ったほうがいいと感じていました。お金の貸し借りは男同士ですと、なかなか気分的に難しいところがあるようで、そこは私が行って、「よろしくお願いします。資金がどうしても必要なんです」と頭を下げるほうが、丸く収まったように思います。

四郎、道子と秀行、麻貴の家族写真。お店も子育ても精一杯働いていた頃。

お店を切り盛りするのに忙しいという体の疲れもありますが、お金を毎月何とかしなければいけないという気苦労もあって、長いこと37キロから太れなかったのかもしれませんね。お金に限らず、問題に行き当って、自分の力ではどうにもならないなあ、と無力に感じる時、思い出し、心を励まされるのが、明治天皇のお歌でした。
口ずさむと、なぜかすーっと気持ちが落ち着くんです。口ずさむといっても自己流で、自分なりに声に出して読むだけなんですよ――私たちが女学生の時分は国語の授業といえば、『徒然草』や『万葉集』『平家物語』など古典を声を出して読み、暗記するのが勉強の柱でした。中に書かれていることはその時は意味を教えられてもよく理解できていないんですが、何十年たっても、あの頃覚えた文章や歌は、身体に入っていて覚えているんですね。三つ子の魂百まで、です。

鹿島で初めてのファッションショーや実家の料亭清川の大広間(写真)を使っての催事など、
お客様をひきつける工夫を続けてきた。

この明治天皇の御歌には本当に助けられてきました。何か問題が起きたり、辛いことがあると自然と口ずさんで、そのたびに、心がすーっと落ち着いて、また今日からがんばろうと思えました。娘の麻貴も「子供の時からお母さんが口ずさむのを聞いてるから、私も覚えてるよ」と言います。

書道と油絵をもう一度、習ってみたい


97歳になって、「いましたいことは何ですか」と時々聞かれますが、書と油絵は習ってみたいですね。書は自分で楽しんで書いてきましたが自己流ですし、油絵のほうは、女学生の頃、テニスと並んで大変好きなことの一つでしたが、卒業してからはそれきりになっています。
油絵も明治天皇の御歌と同じように、高等女学校の美術の授業で教わりました。私たちが油絵具をどんどん使うので、先生に「こら、油絵具は高いんだぞ。それをこんなに使ってしまって」と叱られたのを、昨日のことのようになつかしく思い出します(笑)。私たちは気を使わずに高価な油絵具はどんどん使うものだから、先生はハラハラされたんですね。知らないものだから、申し訳ないことをしました。

昭和14年正月のきょうだい写真。左から妹・勝代、姉・幸代、弟・平一郎と女学校卒業間近の道子。
97歳のいまも、女学校時代に好きだった油絵や書にもっと親しみたいと願う。孫の賢人はじめ家族に支えられて。

習うといっても、決められた時間にお稽古に伺うのはこの年ではちょっと難しいのと、行き帰りの付き添いが必要になります。「先生のご都合のつく時に、モードに教えに来ていただいたら?」という声もありますが、教わる身なのにこちらに教えに来ていただくなんてとんでもないでしょう? 無理かなあ、でもいまからでも油絵を習ってみたいなあ、と考えを巡らせるのもまた楽しみですね。
 

インタビュー・文 樋渡優子
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