≪第21話≫ 私の失敗談②
一度だけ、涙がこぼれた日
モード洋品店最初のヒット商品が、〝純綿製の最後まで火が消えない灯芯〟だったと前にお話ししました。戦後、物が不足していた頃、スフと呼ばれる混ざり物入りの灯芯が出回っていましたが、質が悪く、ランプの火が燃え尽きるまでに、何度も消えてしまうので、夜使っていてわずらわしい。そこで100%コットンの古下着を集めてきて、煮沸消毒して棒状に切ってオリジナル灯芯を作ったところ、飛ぶように売れたと。
あの純綿の灯芯では嬉しい思いもした反面、その後、苦い教訓も得ることになりました。
鹿島で純綿の灯芯がとてもよく売れたものですから、「これは行ける」と自信を深めた私は、佐賀市内にまで出向いて行って、売り込んでみようと思いつきました。鹿島より佐賀市のほうがずっと住んでいる人の数も町も大きいですからね。
いまから70年前(1950年頃)は、子供たちがはだしで外で遊びまわっているのも、そう珍しくはありませんでした。長男の秀行も4、5歳でしたが、ちょうど靴がぼろぼろになっていたので、「新しい靴を買ってあげるからね」と言って、一緒に連れて、佐賀へ出かけました。
秀行と麻貴は仲良し兄妹。お店の仕事で忙しい両親に代わって、秀行はよく妹をおんぶして、面倒をみた。
佐賀に着いて、ランプを売っている店を訪ねて純綿の灯芯を見せ、「これが鹿島では飛ぶように売れているので、こちらで置いてもらえませんか」と話しました。ところが何軒回ってみても、どこも引き受けてくれません。というより、相手にもされないんです。
夕方になっても一つも売れなくて、とうとう私は道端の大きな石に腰を下ろしました。気が付くと、ぽろぽろ涙を流して泣いていました。疲れと売れなかった悔しさと、それから、息子に靴も買ってやれなかったこともみじめに思えました。
お客様は「人」から物を買う
でも、このときよくわかったんです。私の灯芯を喜んで買って下さるのは、鹿島の人たちだからです。私とお客様のあいだに「つながり」があるから。品物がよいことはもちろんですが、このつながりなくして物は売れない、お客様は「人」から物を買うのだ、と初めて心から理解できました。
開店当時の「モード洋品店」の主力商品は紳士用小物でしたが、私がネクタイや紳士用ソックス、ハンカチなどのギフト用詰め合わせサンプルを作って、鹿島の会社さんにあちこちお見せして回ると、みなさん、会社のお使い物や贈答品に買って下さいました。私の実家は料亭でしたので、みなさん、子供の頃から私をよくご存じです。「清川(私の実家の料亭の名前)の娘御(むすめご)がこんなことしてるんか」と言いながら。
そういう昔から私の祖父母、両親、私たちきょうだいをよく知っていて下さる地元の方たちの同情だったり、支えがあってこそ、うちは商売ができているんだ、とわかったのは本当に良いことでした。商売が順調な時期というのはなかなかありませんが、もしモードが鹿島以外の場所にあったなら、70年も続かなかったと思います。大きな町はお客様の数や売り上げは見込めますけれど、それだけ競争も激しくなります。
「BIGよりお客様にとってのGOODを追求する」「自分たちの目の届く範囲で商いをする」という方針で今日まで来ております。